第263回定期演奏会 フォーレ レクイエム
- 2012.11.15 Thursday
- 18:18
JUGEMテーマ:オーケストラ
JUGEMテーマ:演奏会自分の勤めるオーケストラでは、一ヶ月に1〜2回主催公演をしている。
このところいくつか好きな曲が巡ってきて嬉しい。
5月の飯守氏のブルックナー4番、6月の尾高氏のエルガー、先月は秋山氏のラフマニノフ。
自分が演奏するかしないかは関係なく、いづれも目の前に現れたら最敬礼を余儀なくされる高貴な音楽だ。
さて、明日金曜日の定期演奏会はこれらとカラーのまったく違うフォーレのレクイエム。
このレクイエムを知ったのは、確か15か16歳ぐらいだったか。
反抗期に差し掛かったこのころは外見的なことにとらわれていたためか、聴く音楽も派手な曲を好んでいた。ましてや古典派の音楽など見向きもしなかったし、理解できるはずがなかっただろう。
ヴァイオリンのレッスンも行かなくなった時期で、代わりにギターを手に入れてヘヴィメタルを知った時期でもある。
そんな無茶な時代で、なぜか好んで聴いていたのがフォーレのレクイエムだった。
家にあるCDを漁っていたときに、たまたまこの曲に出会ったのであった。
安価で海賊版みたいなものだったが、演奏は良いものだったと思う。
出会ったが不思議なことに何度も聴きたくなり、部屋に持ち込み、毎晩ベットにもぐりこむ際にヘッドホンで聴きながら寝るのが習慣だった。本当に毎日繰り返し聴いていた。
聴きながら、死ぬときにはこの曲を聴きながら死ねればいいのに、と幼稚な心境であったが考えていたし、これは今でも思う。
なので自分が死ぬときは、これをBGMにしてください。
その何年か後、父方の祖父(隣に住んでいた)が亡くなったときに、父親が夜中にリビングでモーツァルトのレクイエムを聴いていた記憶がある。
そのとき生意気にも、フォーレのほうがよっぽど綺麗ですばらしい音楽なのにと、思っていたのを恥ずかしながら覚えている。
書きながら気がついたが、そのときもしかしたらフォーレのCDは自分が持っていて、父親は聴くことができなかったのではないかとふと気がついた。
もし下の居間にフォーレがあったら、それを聴いていたのかもしれないと、今更ながら心配になってきた。
一応、三大レクイエムといわれるものがある。モーツァルト、ヴェルディ、フォーレらしい。
モーツァルトの古典的で理想に対して直接的なサウンド、またはヴェルディの、管弦楽を駆使したオペラのような劇的な演出を施したレクイエム。
フォーレのそれは、一見地味なものに思える。
オーケストラは比較的小さいし、作曲方法もさりげなく対位法を施しているが、基本的にはホモフォニーな音楽をベースにしている。
家にピアノ伴奏のスコアがあるので時々音を出してみるが、オーケストラの曲としての意図は弱い印象だ。
フォーレのレクイエムの意図している核心的な手段は、やはりその和声であろう。
言葉、歌のラインを核にして、その調を巧妙に守りながら、さりげなく遠い調の同じ和音に突然置き換えられている印象を与える。それが計算されつくされているのだ、例えばだいぶ先のドミナントにおかれるであろう音が格変されていて、そこから数小節逆算されて、小さな転調を繰り返していき、核心に至るのだ。
声部を抑えたオーケストラのおかげで、その和声の移り変わりはその輪郭が流れながらはっきりするのだ。
同時にシンプルになったオーケストラの中心に、核となる歌が、言葉が凜と存在するのに改めて気がつく。大きな現実に見える空間が巨大な手によって何度も優しく歪められる中で一貫した言葉が旋律に乗って時間となり、天国へと行き着く。
この曲、ヴァイオリンの出番が少ないので、写真のようにリハーサル最中に客席からキリエを聴いた。
天国から眺めて人間が集まって、なにやら美しい音が聴こえる。それに耳を傾けてみる。
神様から見たらこんな視点かもしれない。
遠くできこえる音は、個々の人間の細やかなヴィルトゥオーゾ的なものではなく、大きなつくりでの響きなのだ。
もしかしたらフォーレはこれを計算したのだろうか。
もしくは、聴き手は神様ではなく、やはり作曲のきっかけとなったといわれる
亡くなった天の父親を考えていたのかもしれない。
合唱のシティコーアは、アマチュアながらめきめきと技術の磨きがかかってきている。
安心して音楽を聴ける。
前半のビゼーのシンフォニーも17歳の作品にて、シンプルながら秀逸な作品。
今回、自分のカルテットが開演前のプレコンサートで演奏するので、そちらもお楽しみあれ。
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
第263回定期演奏会
11月16日(金) 東京オペラシティ 大ホール
18:15 開場
19:00 開演
曲目:
G.ビゼー/交響曲 ハ長調
G.フォーレ/レクイエム ニ短調 op.48
指揮: 宮本文昭
ソプラノ: 幸田浩子
バリトン: 河野克典
合唱: 東京シティ・フィル・コーア
(合唱指揮:藤丸崇浩)
http://www.cityphil.jp/concert/c2012/s20121116.html
ヴァイオリン教室
Jun Tomono VIOLIN SCHULE
http://jt-violin.com/index.html
この記事のトラックバックURL
トラックバック
またおもしろいことをやろうと思います。
今後もよろしくお願いします。
m(_ _)m
デュエットもカルテットも素敵でした♪
メンバーは良いので動きたいのですが、今は優先順位としては難しいですね。
また是非聴きに来てください。
フォーレのPieJesuの前では、信仰で言うところの懺悔の念に何度もおそわれて、落涙したこと数知れないです。例えは悪いのですが、まるで放射線のように雑念という障害物を透過して深奥まで届いてくる、特殊な音楽だと思います。
明日は、誰かにとって特別な、素晴らしいレクイエムの夜になりますように。