• 2019.03.10 Sunday
  • 00:00

土曜日の午前3時、実家の猫が死んだ。

 

両親からのメールで知った。体調が悪いのは聞いていたが、期待より早く旅立ってしまった。

その日のレッスンが終わると、実家へ向かった。

 

あの猫は、自分が20歳くらいのとき、一番やさぐれていた時期に(家に帰ることが減っていたので意味の通り、やさぐれていた)、

夜遅くに家に帰ってみると、自分のベットの上に行儀よく座ってした。たいそう大きくゴロゴロと喉を鳴らしていた。まるでニコニコとと笑っている印象だった。一目ぼれ的な感覚があった。

 

 当初は例えると、ヘップバーンや伊東美咲のような細さであったのが、だんだんとずんぐりしてきてしわがれ声になっていったが、記憶というのは絶対に変わらない。あのころ撮った写真はどこにいったのだろうか?

 

自分が、実家を出るときにいつか外に出してあげようと(勝手に)約束をしたのだが、それは果たせなかった。

ただ、この家にいることができたのは彼女にとって幸いだったと思う。

 

 彼女は、出会った同じ場所、自分の部屋で丁寧に段ボールに入れられていた。

 

その姿を見た時、必然として、数秒の間自分の喉はやや甲高いうなり声を発していて、その後理性がそれを抑えていた。

 

悲しいという感情の表現でなく、記憶と身体の直接的な接続であった。

 

こうあるはずの過去という現実が、今の現実にクシャっと形を変えられた瞬間に、心の変化を通り越して身体が反応した感覚だ。

 

もしくは心臓を直接握られる感覚とはこんなだろうか、もちろん経験したことはないけれど。

 

横たわる身体を触ってみると、1年前に亡くなった猫よりも冷たくはなく、硬直も緩やかだった。

 

そのやや乱れた毛皮をなでながら、何年か前に収めていた画像や動画を見ていた。

記録しておいて良かった。

 

 

明日には、彼女の身体は庭のどこかで土の下にいるだろう。

 

幸いしばらくすれば、自分も近くにいることができる。

 

いつまで記憶の表面に残っているだろうか。

 

だから、記憶に埋もれていくその時までは、毎晩心の声をかけよう。

 

 

 

 

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おやすみ、くりさん。

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