音楽家詣で その3 ベートーヴェンの道を辿る

  • 2014.10.22 Wednesday
  • 02:52

9月14日の続き

しばらく退屈な日記が続きます。

お土産の大人買いをしてから一度部屋に戻り、今度は路面電車でラントシュトラーセに向かう。
このあたりにもいくつか音楽家の足跡がある。
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ウィーン音楽演劇学校のすぐ近くの建物に、またベートーヴェンの住居跡。
郊外のバーデンからこちらに1823年秋に移り、1824秋ごろまで滞在、シンフォニー9番をここで完成させたという。
何度も通り過ぎていたが、去年やっと気がついた。。
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少し
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少し市立公園に近い建物には、ブラームスの住んだ家と書かれたプレート。
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駅の方から、ラントシュトラーセ中央通りを郊外に向かってしばらく歩く。



1817年ごろベートーヴェンの住んだ家。
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この先に、モーツァルトの住んでいた家跡があり近くを歩いたが、プレートなどを、見落とした。
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この建物のあったところらしいが。
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来た道を戻り、Rochusgasse駅の近く、ラズモフスキー邸を探す。
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ベートーヴェンの重要なパトロンの一人で、依頼によりベートヴェンはOp59の弦楽四重奏を書いている。
1806〜1814年に存在していたが、火災に見舞われる。
再建された現在の建物は国土地理院になっている。
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その後地下鉄で旧市街に戻り、まだ訪れていない場所に入った。

ひとつは、ユーデンプラッツ博物館。
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この地も例外なく、ユダヤ人にとっては受容と迫害の連続の歴史。
14世紀の城壁内。上部の白い部分がユーデンプラッツを中心としたユダヤ人街であった場所。
1300年後期にはある種の特権階級であったが、1420年に追放されこのユダヤ地区も破壊された。
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シナゴーグの遺跡
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これともうひとつ、Dorotheergasse沿いにユダヤ博物館があり、
より物々しく、SPが数人入り口と内部に配置されて緊張感があった。
こちらは割愛。



古地図を探しがてらショッテン修道院まで歩く。
その奥の区画にフランツ・リストの住居跡。
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あと一箇所、大事な場所へ。メルカー堡塁の上に初めて登った。
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ベートーヴェンが1810年から断続的に何度か住んだ家。
パスクァラーティハウスと呼ばれる。
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ペダルが5つあるピアノ。使い方が説明されていたが、、忘れた。
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ラズモフスキー公爵。手にした建物の見取り図と隣の絵からすぐに分かった。
その縄張がさっきほど歩いて回ったララズモフスキー邸と似ていたから。
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ナポレオンのウィーン進駐
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当時の壁まではがしてみたということだろうか。
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「不滅の恋人」の候補者たち
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今でこそ、目の前はオフィスでありウィーン大学の建物だが、
当時は城壁上の砲台が目の前にあり、そこから先は防衛上の理由で緑地帯がしばらく広がる。
その先には点在する村と田園風景。こんな風景であったのだろう。
気に入っていたのであろう、少なくとも1804〜08、1810〜14と引越し魔のベートーヴェンにしては長い期間ここに住んでいる。
ベートーヴェンはたびたび城壁の上を散歩していたらしい。おそらく高いところが好きだったのだろう。
ケルントナー門近くのベルヴェデーレ方面を見渡せる砲台近くにも数箇所住居跡が集中している。
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外に出てリングの外側に。目の前にヴォテーフ教会。まだベートーヴェンモーツァルトの時代には無い。
ここは当時城壁と郊外の間の長い緑地帯が広がる。城門をでて、小さい明かりを遠くに何も無い道を行くのは心細い気持ちになったかもしれない。
後でこの前のヴェーリンガー通りをひたすら歩く。
その前に。
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引越しをしているようです。エレベーターが無い建物が多いこちらではこんな方法がとられるのですね。
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リング外側のブルックナーの家跡。
もっともブラームスや彼の時代にはリングとその区画が開発され、
城壁内、城壁外の意識差はだいぶなくなったのではないか。
モーツァルト、ベートヴェンの時代の違いとしてかなり影響があることだと思う。
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もうひとつ、ヴォティーフ教会裏のベートーヴェンが最後の家。
モーツァルトとは違い、彼の場合は経済上の理由でなく、好んで外側に住んでいたと思う。
当時の地図を見るに、その住所はウィーンの城壁が見える場所。
もう一箇所それに当たる場所は、現在の市役所裏にある住居。
時期的にはおそらく、ナポレオンのウィーン攻撃によって破壊された頃の砲台の緑地帯を挟んだ目の前。
わざわざ眺めるために住んでいるとしか思えない。

というか、だんだんネタをばらしつつある。
それはまた後日。
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この場所で亡くなったベートーヴェンは、近くの三位一体教会での葬儀の後、(おそらく)ヴェーリンガー通りを真っ直ぐ進み、防護壁をさらに超えた郊外の墓地に運ばれた。これからその道をひたすら歩く。
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途中で、1788年ごろモーツァルト一家が住んだ家。ラントシュトラーセと言い、主に経済的な理由であろうといわれている。
市壁まで歩いて15分ほど。当時は集落のような家の数。
心細い思いをしたかもしれない。翌年、若干金庫の中身を持ち直したモーツアルトは、ユーデンプラッツの家、そしてケルントナー通り裏の最後の家に移る。
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ものすごく高いところにあったが、モーツァルトのプレート。
コシファントゥッテと書かれているが、どうやら間違えであるらしい。
実際は次のユーデンプラッツの家で書かれたそうな。
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ひたすら歩く。まだフォルクスオーパーにもたどり着かない。
無常にも路面電車が通り過ぎていく。しかし歩くと決めたのでした。
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途中のブルックナーの家。もう疲れたので遠くから。
しばらく写真放棄。
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フォルクスオーパーをU6番線の外側に出てから、急に下町の雰囲気になる。
においというか、建物の高さや密度というか。
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ヴェーリンガー通りからそれて、坂を上がる。裏側に回ってしまった。
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旧ヴェーリング墓地。ベートーヴェンとシューベルトの旧墓地。
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新しいものとくらべこじんまりしていますが、立派な墓石です。
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シューベルトは本当にベートーヴェンが好きだったのでしょうなあ。
その意を汲んで、移された中央墓地でもこの配置です。
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現在は墓地の片鱗を残しつつ公園になっており、多くの人がくつろいでいました。
正面からでて帰ります。
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もう歩きたくなくなり、半ば反射的に路面電車に乗った。
ずっと歩いてきた道が、見る見る過ぎていく。
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続く

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